社風の源流

「おべんちゃらしようという気があるんなら、その分仕事に熱中してもらわなアカン」

季晴は純粋に”ビジネスをしたい人”でありました。おべんちゃらや仕事以外での気配りに満ちるような職場には未来がないと考えていたのです。
例えば、中元や歳暮など付け届けの類が大嫌い。銀行マンとして10年あまり勤める間にいやになるほど目にした贈答品の横行への反動なのでしょう。季晴は付け届けをする人はどこかやましいところがあるのではないか、送ってきた人はその名前を発表する、とまで宣言して排除しています。
また戦後起業した際に季晴が受けた様々な理不尽な扱いも、純粋なビジネスを渇望する根源になっていきます。当時は物資統制令のもとにあり、所轄の官庁担当者の許認可を得るために饗応しなければなりませんでした。季晴は好きでもない宴席での接待を繰り返し強いられ、体を壊してしまったほどです。
道理に合わないのは役人だけではありません。大手企業に日参しようやく下請けの仕事を得ましたが、支払いを渋られたあげく無茶な支払いサイトを押しつけられたり、お宅はウチと取引しているから信用を得ているんだろう、文句があるなら取引は中止だ、と足元を見られたりもしました。
そういったビジネスを外れてしまった部分での苦役の数々は、まっすぐなビジネスに飢える経営者季晴を形成していきました。後年、簡潔ながらこう言います。
「おべんちゃらしようという気があるんなら、その分仕事に熱中してもらわなアカン。それで生きがいを見つけてもらうべきです」
上役や大手の得意先、関係役所の役人などに媚びへつらって出世したり、仕事をもらったりなどはとても許せはしなかった季晴。これが「正姿勢」の芯となり、今日のサンキンの礎となっているのです。

(写真)